ルーマニア 晴れ時々曇り

ルーマニア・ブカレストに暮らす小生の備忘録。 連絡は、次のアドレスまで。迷惑メール以外は歓迎します。 Bucurestian(at)gmail.com

Monday, September 04, 2006

イスタンブール旅行 vol.1



8月27日の日の出 ブルガリアにて


夏休みをとった小生は外国旅行をすることにした。
行き先はトルコのイスタンブール。
知人がイスタンブールへの用があり、便乗することにした。
便乗というからには、交通費はがロハになるという意味を読み取って欲しい。
空路では1時間ほどの旅行となるが、自動車ではそうはいかない。
昔「飛んでイスタンブール」という歌謡曲があったが、今回は陸路およそ700kmを自動車での旅である。
8月26日深夜出発。途中ブルガリアを経度に沿って縦断する格好で南下する。
出発に深夜を選んだ理由の大きなものは、國境の通過時間にある。
つまり空いているということである。
今回通過した國境はルーマニア側がジュルジウ(Giurgiu)、ドナウ川を隔てたブルガリア側がルセ(Rousse)である。
ところで、ルーマニア側の官吏は全くもって腐っている。欧州連合から2007年の加盟を持ちかけられたいる國ではあるが、その条件が汚職追放である。官吏の汚職はどこにでもある。我が日本國にも残念ながらある。併し、欧州連合から加盟の条件に指定されていることを考えれば、それだけ汚職が日常化しているということだ。今回は往路10RON(およそ400JPY)、復路は積んでいた葡萄一房を請求された。もっとも往路は「同僚がコーヒか水が飲みたい」という婉曲的表現だった。自身のために欲しいとは言わず、「同僚が」というところにルーマニア人に良く見られる姑息さを感じる。
一方のブルガリアの官吏は意外なことに何ら問題なし。意外というのは、欧州連合が今年に加盟への中間報告をした際に、同じく来年元日に加盟を希望しているブルガリアの方が汚職が酷いとの発表をしていたからである。この発表の時にルーマニア人の知人は何かと張り合っている隣国に優越感を話してくれたことが懐かしく感じたのである。
一方道中は波乱の幕開けになった。ブカレストを離れた直後に雷を伴う大雨に遭遇した。雨粒は自動車のフロントガラスにほぼ直角にあたり視界が大変限定された。ブカレスト市内と違い良く舗装された道であったがお陰で安全運転を強いられた。國境を通過するとルセから観光地ヴェリコ・タルノヴォ(Veliko Tarnovo)、バラ祭りで有名なカザンラク(Kazanlak)、ストラ・ザゴラ(Stara Zagora)、ディミトロヴグラード(Dimitrovgrad)を経てハズコヴォ(Haskovo)までE85を南下。そしてE80を東へ進みトルコとの國境へ、その後は高速道路をひたすら東へ進む。250km先がイスタンブールである。
片側3もしくは4車線の高速道路は快適そのもの。交通量が極端に少ないのもその理由だ。但しイスタンブール近郊からは混みあうそうだが、この日は日曜日で渋滞には無縁だった。
東ローマ帝国の首都だった当時のコンスタンチノープルへ到着したのは8月27日の正午前。11時間の道のりだった。運転の一旦を担った小生も徹夜に疲れて、F1トルコ・グランプリをテレビ観戦しながら、夕方まで熟睡した。

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