イスタンブール旅行 vol.3
イスタンブールは大都会である。
この街が2012年の夏季五輪の開催都市に立候補したのを憶えているだろうか。
結果は周知の通り、北京五輪に続く都市は英國の首都ロンドンである。
因に、我が國からも大阪が立候補していたのだが、立候補5都市の中で最初の選考で漏れたことは、もうみなさんの記憶に無いかもしれない。少なくとも大相撲大阪場所で土俵入りを望み続ける太田房江大阪府知事は記憶に留めないようにしていると思われる。
話が逸れたが、ブカレスト在住の友人とっては、このイスタンブールは正に大都市と映ったことであろう。ブカレストの人口は210万人(2002年)に対してイスタンブールのそれは1200万人(2003年)である。
ところで、ブカレスト五輪はいつ開催になるのだろうか。
今回はイスタンブール初訪問となった友人を伴っていたこともあり、観光地である旧市街スルタンアフメット地区は外せない観光スポットとなった。つまり小生がガイドである。
トプカプ宮殿は外観のみの見学となったが、対峙するブルーモスクの名称で有名なスルタンアフメット・ジャミイを訪問した。因にトプカプ宮殿と違い、入場の為の拝観料は要らない。
イスラム寺院であるから、イスラム教徒が参拝する。これは当然の話ではある。一方、信仰が大らかな國民性故か、宗教に真摯向かない日本人の場合、観光で訪れた寺社仏閣は、参拝というよりも訪問(もしくは観光と言っても良い)が第一義であると思われる。彼らは賽銭を投げ込み願い事を込めて祈るのではあるが、参拝に来たというものではない。初詣等は例外であるが、これもイヴェント化してる感は否めない。
つまり、言いたいことは、観光スポットであってもイスラム寺院には信仰上の理由で参拝に来る人が日常的に見られるということである。礼拝時10分ほど前からイスタンブールの各イスラム寺院からスピーカーで独特の節が流れる。屋外であればどこでも聞こえると言う。これは拡声器の音量という理由だけでなく、イスラム寺院の多さをも意味する。
コーランの一節なのだろうか。放送を耳にする度に、砂漠と無縁のイスタンブールで映画「シェルタリング・スカイ」をワンシーンが脳裏を過ぎった。
スルタンアメット・ジャミイでは世界中からの観光客が各國語のガイドブックを片手に溜息をついていた。
それほどまでに美しい内部はイズミックスタイルの幾何学的文様のタイルと高い天井から吊られた巨大なシャンデリアの灯り、そしてステンドグラスで彩られており、キリスト教会とは違い広々とした空間の床に敷かれた赤いカーペットに見学者は座り、あるいは寝そべり感嘆するのである。
ここで、マナーの問題に触れたい。
イスラム寺院内部においては女性は髪を見せてはいけないと言われる。通常女性訪問者はショール等で隠すのだが、そうしていない女性も多数見られた。その他にも土足厳禁の内部といえども寝そべるという行為も少なからずあった。確かに天井は高く、それを楽に見続ける為にこのように見上げることは、この空間を改めて広々としたものであると、苦痛を感じずに実感させるはずである。それは察するに、砂漠で満天の星空を見るような心地であろう。併し忘れてはいけない。イスラム教徒は聖地マッカの方向に向いて礼拝を行う。つまり、イスラム寺院においての正面は即ち聖地といえる。そこに足を向けるのことは、イスラムの礼儀作法を知らない小生であるが、行儀がいいものとは決して思わない。
我々が内部に座って感嘆している間にも、日本人女性6人グループが訪問していた。ツアーガイドであろうトルコ人と思われる女性が、流暢な日本語で説明をしていた。併し、この計7人は一人も髪を隠していないのである。この寺院の関係者が観光客に、都度注意をしていたということは、それだけ「違反者」多いということを意味する。髪を隠して座っている女性にも注意を与えたので疑問に思ったが、直後その女性は、腰のあたりからのぞいいたカーペットと同じ色の紐状のものを隠した。指摘される方も恥ずかしかったことだろう。
小生は宗教というものは、それが各人の信仰外のものであっても敬意を表すべきと考える。
続いて、この地区にある「地下宮殿」も訪問した。
ここは、以前からガイドブックで知っていたが、これまで未訪問だったところである。
かつての水瓶つまり貯水池として利用されていたものを公開しているのだが、この空間には柱が何本も立ち建築物であるということが分る。体育館に程の空間には現在も水はあるのだが、水深は30cmくらいだろうか。通路が作られ、池の上を順路に従って歩く見学コースからは魚影も見られる。自然光が全く入らない環境であるから、深海魚のように視覚が退化するのではないかと気にしてしまう。一方でこれらの魚がいつからいるのかも興味深い。
地下宮殿のハイライトはメデゥーサ像である。ギリシア神話でおなじみのぺルセウスに退治された髪の毛が蛇という怪物である。見た者を石に変えるといえば、名前はともかく膝を打つ方もいらっしゃるのではないだろうか。以下の写真の通り、首が立てられていない。即頭部が柱で押さえれているところに「退治」の意を感じる。
参考サイト
地下宮殿 http://www.yerebatan.com/indextr.html
Labels: 旅行:トルコ Turky
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