ルーマニア 晴れ時々曇り

ルーマニア・ブカレストに暮らす小生の備忘録。 連絡は、次のアドレスまで。迷惑メール以外は歓迎します。 Bucurestian(at)gmail.com

Sunday, December 31, 2006

ウィーン旅行 vol.5 Wien 大晦日2

閑散とした下町の賑やかな店で満腹になった小生は地下鉄で市内中心をめざす。

Wienの中心は有名な聖ステファン大聖堂である。
ステファン広場から見上げる聖ステファン大聖堂は雄大といった印象を小生に与えてくれる。
同じゴシック様式のPrahaの聖ヴィート大聖堂の正面には威圧感を感じるが、このWienの大聖堂は広場に面しているせいか開放感も同時に与えてくれる。
Wienの中心はこの大聖堂であるのだが、実際に中心部として一括りの概念としてはリング(ring)と呼ばれる環状道路の付近とその内側と言える。このリングには路面電車が双方向に循環しており、「ハプスグルク王朝のショウウィンドウ」(観光局)の風景を眺める為に路面電車で1周するのも楽しいものである。

小生は地下鉄Stephansplatz駅で下車した。この駅はその名の通りでステファン広場に位する。
駅にはいくつか出口があるのだが、小生の好きな出口というのがあり、こののエスカレーターを利用するとだんだんと大聖堂が近づき迫るという体験が出来るのだ。日没後でも大聖堂はライトアップされているのでまた別の美しさがある。ただこの日に限っては、地上に出る前から爆竹と花火の騒音が響いていたので、雰囲気は全く違うものであった。

因にWienに到着すると、スーツケースを曳いてまずこの駅に降り立ち、そのエスカレーターに乗るというのが小生のちょっとしたこだわりでもあった。つい最近まではこの広場からすぐのところのホテルをWienの常宿として使用していたからでもあるのだが、知人のゲストハウスに泊まるようになってからは、スーツケースを持たずにこの体験を繰り返している。

広場の時計を見ると今年もあと僅か1時間余り。
1年を振り返るにも騒音と煙そして何よりもその発生源からの危険性でそれどころではない。
近くでグリューワインを買い求め、暖を取りながらそこに佇む。
カウントダウンの場所取りである。
間もなく人の波が押し寄せ、その「場所」もあやふやにはなるなか、時は来た。
広場の時計には秒針がないので、いつも誰がどう音頭を取っているのか分らないのだが、カウントダウンは10秒前から始まるらしくドイツ語の分らない小生は残り3秒から参加させてもらっている。
「drei, zwei, eins, Prosit Neujahr!」

周囲ではみな新年を祝い、持参したグラスや大きなビンで乾杯を繰り返し、キスを交わしたり、抱き合っている。
小生も持参したスパークリングワインの栓を抜きその中の一員となる。なお、スパークリングワインを持参する人の少なからずはシャンパンファイトよろしく雨を降らすので着飾らないで出掛けるのが良い。

ところで、ここからがさらに危険なのだが、やがて人々はビンやグラスを広場に投げ込む。
当然ガラス製品なので、それらは割れて飛び散るのである。かつて10年ほど前までは、この爆竹専用ともいえる広場はカウントダウン後に自然発生していたと、さきに書いたが、その頃は乾杯の後に誰かが足元に爆竹を撒き、同時にビンやグラスも叩きつけるのである。爆竹や花火は誰もが持つものではないが、ガラス製品はほぼその場の全員が持っているので、今思えばその当時の方が危険だったかもしれない。

これも毎回のことであるが、カウントダウンが終わると同時にヨハン・シュトラウス2世の有名な円舞曲「美しく青きドナウ」が街に響き、ワルツを始めるカップルが見られる。見ているだけで幸せな気分になる。
小生はワルツを聴きながら、密集の解けたステファン広場を後にしてケルントナー通りに出て友人達と合流。それからまた飲むのであった。

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ウィーン旅行 vol.4 Wien 大晦日

列車で半時間揺られ、目的地であるWienへ到着。
今回は道中に2つの街に寄り道したので、ようやくとの思いもある。
市内中心近くの知人のゲストハウスで荷を解き、市内散策へ。
Bruck an der Leithaとは違い大都市であるWienを散策するには選択肢がいくつもある。
ハプスブルク帝國の中心だった都市で、各種有形無形文化も育ち、それらは今に続いている。見所が無数にあると言うわけだ。おまけに戦災は小規模であったことから、中世の街並みが今なお息づいている。

1996年暮から毎回年末年始をWienで過ごし、その他の機会にも何度も訪問している小生であるが、Wienを飽きるということはない。併し、観光案内書に掲載されているところへは半分も出掛けたことはないのだが、散策していてふらりと入る博物館や美術館それに教会、もしくは市場や商店それにカフェや演奏会のそれぞれが小生を満たしてくれる、Wien滞在は散策という方法で楽しむのが小生のお薦めである。

この日のWienは例年の如く、中心のケルントナー通りで爆竹が鳴っている。午後2時頃にも関わらず爆音が響いている。小生の記憶であると1999年暮あたりから、日中に爆竹を鳴らし始めているように思う。それ以前は、真夜中のカウントダウン後、まさに新年が明けたそのときから爆竹が突然、Wienの中心ステファンス広場とそこに入る通りを埋め尽くした群集の中で鳴り響き、数分でステファンス広場にぽっかりと空間ができていた。シャンパンやワイン等を持参して年を越した人々は乾杯をして飲み干した後、ボトルもグラスも広場へ投げつけガラスの破片が出来る高い音が煙の中から爆音と共に聞えたものだった。併し、最近では広場は日中から爆竹会場としてほぼ占拠され、カウントダウンの時間になてもその空間は存在している。

この年から登場した豚の帽子(5ユーロ~)を扱う屋台


市内中心では通りにこの日限りの露店が出されおり、豚やきのこ、そして四葉のクローバー等の縁起物グッズをはじめ飲み物やソーセージそれに焼き栗等が提供されている。中でも人気はグリューワイン(Glühwein)。見た目は湯気の立つ赤ワインであるが、丁子をはじめとした香辛料煮込まれている為に良い香りを伴う。冬場は広く欧州飲まれており、ルーマニアでもヴィン フィエルト(Vin fiert)として寒くなると目にする機会が増えるのだが、ルーマニアでは白ワインベースのものも存在している。なお、砂糖も一緒に煮込まれている為に香辛料の香りと口当たりの甘さ、それに加熱されて少々アルコールの飛んだこともあり、大変飲みやすいカクテルと例えることができるだろう。勿論、身体が暖まり、ややほろ酔いの良い心地を味わえるのだ。このグリューワインは専用のマグで販売される。これらのマグは毎年異なるデザインで小生のコレクションにもなっている。
通りにはマグを片手に観光客が多く歩き、日が暮れるにつれその数も増えていくのである。

この露店ではXXXLホットドッグの看板を掲げていた


夕食には市内の外れへ出掛けた。これも情報無しでの行動。小生の旅の楽しみの1つだ。
地下鉄に乗り、適当な駅で下車してその辺りを歩いて探す。今回下車した地域は下町のようなところだった。観光客も居ないせいか大晦日の夜に店を開いているレストランや食堂を探すのは難しかったのだが、そのうち1軒を見つける。庶民的なところで取り分け看板やメニューに○○料理ということも書かれていない。ビールだけ飲みに来ている地元客も大勢いた。L字の店内の半分は貸切パーティーに使われているようで大音響の音楽が流れていた。小生はカーテンで仕切られた貸切られたスペースの際の席へ通されたかので、騒々しい中で今年最後の夕食をとることになった。音楽だけでなく小学生くらいの子供からお年寄りまでが出入りが多く、落ち着くことも無かった。併しこういう状況もルーマニアでは珍しくない。それに旅先だからそんなに気にならない。むしろ何のパーティーだろう、忘年会かな?などと思いを巡らせながら、かれらの笑い声に耳を傾ける。併し、聞えてくる言葉の半分以上はなんとルーマニア語だった。

食事を終え、会計を済ませ、手洗いへの道を聞くと、貸切スペースの先にあるとのこと。仕方なくカーテンを開き中に入り、近くに人に声を掛けて進む。大音響で人々は歌い踊り話をしていのだが、一人が小生に気付くと皆に注目される。用を済ませ会釈をして戻ろうとすると、皿に取り分けられた食べ物をいただいたり、飲み物のリクエストを訊かれたりした。こういうホスピタリティはルーマニアのままだ。小生の席はないのでさっきまでいたテーブルに結局戻り、何人かがグラス片手に一緒に付き合ってくれる。小生はドイツ語が話せないし、彼らには英語が通じない。結局ルーマニア語での会話となる。違和感のあるルーマニア語を話すなと思って話を進めていると、彼らはユーゴスラヴィア(セルビア)出身のグループとのこと。ブルガリアとユーゴスラヴィアとの國境近辺のドナウ川の右岸の地域の人々はルーマニア語を話すと聞いたことがあり、出掛けてみたいと思っていたが、まさかWienでしかも30人のグループと会うとは思わなかった。彼らによると忘年会と出席者の誕生日パーティーが一緒に祝われているとのこと。
30分くらい一緒させてもらい、市内へ向かう。カウントダウンの見物にはまだ時間もある。

今年最後の夕食のメインは豚肉のソテーとソース


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ウィーン旅行 vol.3 Bruck an der Leitha 2

Wien近郊のBruck an der Leithaという小さな町の宿で2006年の大晦日の朝を迎えた。
簡単なコンチネンタルスタイルの朝食には、オーストリアのパンの代名詞とも言えようカイザーロール(Kaiser Roll)が出てきた。ドイツ語圏ではゼンメル(Semmel)と呼ばれているパンである。オーストリアではカイザーゼンメルとも呼ばれる。
ウィーンの食べものと言えば、有名なものは「ウィンナー・シュニィツェル(ウィーン風カツレツ)」、そして世界に知られたケーキ「ザッハトルテ」が挙げられよう。併し小生の場合は、カイザーゼンメルもそれらに加えられる。
このパンは横に切り込みを入れ、そこにハムやチーズ等を挟んでサンドウィッチ風にして齧り付くのである。外はカリカリで中はしっとりとしたパンをもとに自分でサンドウィッチを作る楽しみも味わえるのである。面倒と思う人には、スゥエーデンスタイルの朝食(日本で言う「バイキング式」)の方が良いのかもしれないが、小生はオーストリアやドイツそしてまれにハンガリーなどでお目に掛かるこの朝食が好きだ。まず切り込み口にバターを塗るのであるが、パンは焼きたてで出されることは滅多にないので、思うようにはバターが塗れない。その上にハムやチーズや野菜を挟んでいくのであるが、この日はバターとハムのみ。勿論甘口風に切り込みにバターとジャムという組み合わせもある。因にこの宿の朝食には、はちみつの大きなボトルが各テーブルにあり気に入るままに使うことができた。このサーヴィスには感心した。
一方で飲み物はコーヒーとホットミルクがそれぞれポットに入れられて出される、小生は半々の割合で混ぜてカフェオレのように飲むのだが、これがカップ2杯から3杯分にもなる量。簡単な朝食で満腹になり、食後の散歩に出掛ける。


この日の朝食。残念ながら、はちみつの瓶は写ってない。


前夜に到着したせいので、街の様子はまだ分らない。
ウィーンに出発するのは昼過ぎでも構わないので、気楽に散歩を楽しむ。残念なことにこの朝は濃い霧が小さなこの街を覆い、見物するには良い条件とは言えない。
昨夜目印とした信号機のある交差点に続き商店街を5分ほど歩くと霧の中に聖堂が見えてきた。


霧の中のDie Dreifaltigkeitskirche(三位一体教会)


欧州の街は教会を中心に広がっていくことが多い。このBruck an der Leithaもその典型であり、教会の周りに広場があり、その広場を囲む形でカフェや商店そして銀行や役所が軒を連ねている。大晦日の午前中であるにも関わらず、それらの一部は開店していた。早速、カフェをめぐりをする。10分ほど歩いただけで満腹は解消されていないのだが、ここでデザート。いや本当はオーストリアのカフェに来ると、そのコーヒー及びケーキの素晴らしさから、いわゆる「別腹」扱いで受け入れてしまうのである。


新年を迎える縁起物のお菓子が並ぶ。
上の写真の右は、はしごを持った煙突掃除夫



2軒目のカフェにて。
コーヒーと水が、銀色の盆に載せられて出てこないのが意外だった。


カフェには結構な客がいて、天井の高いカフェでさまざまな笑い声が響く様子は、大晦日の朝には思えない雰囲気であった。地元のなじみが集まって、1年を振り返っているのだろう。日本だと大晦日の朝なんてみんな忙しく動き回っているイメージしかないので、新鮮な経験であった。

2軒目のカフェを出る頃には霧も消え、空は青く晴れ渡っていた。


霧が晴れると印象もまた違う。


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Saturday, December 30, 2006

ウィーン旅行 vol.2 Bruck an der Leitha

GyőrからWienへ向けて、列車に揺られると30分程度でハンガリー國境であるHegyeshalom駅へ着く。但し出國手続きはすでに車内で済ませていた。出入國審査官はGyőr駅で乗り込んでいたからである。

余談だが、面白いことにBudapest-Wienの2点間を鉄道で移動する時のハンガリー國境のスタンプは小生の日本國旅券には3種類ある。西からHegyeshalom、Győr、Budapestである。いづれも車内で押印されたのであるが、はじめの2つは地理的にも國境に近いので理解が及ぶのだが、Budapestだけは何故と考えても分らなかった、オーストリアからの列車がハンガリー入國後Budapestまで乗客乗降サーヴィスをしていないのなら分るが、そうでもなく、いくつかの駅に停車してそのたびに乗降客があるのだから。

Hegyeshalom駅を発った列車はすぐにオーストリア領に入り、間もなく最初の駅Nickelsdorfに到着。オーストリアの出入國審査官もHegyeshalomから列車に乗り込んでおり、既に仕事を終えた彼らはこの駅で下車するのである。Nickelsdorfから20分程進むとBruck an der Leithaに着く。ここまで来るとWienは目前である。併しながら、小生はいつも通り過ぎるこの駅で下車したくなった。駅前は栄えていないことは承知しているが、村ではなく町であろうと思っていたし、町なら食事や宿泊にも困らないであろう。また、それらは首都であり、観光大都市であるWienに比べると経済的なはずだ。万が一そのようなことが無ければ、駅に戻りWienへ向かえば良い。この駅から始発の近郊列車やハンガリーもしくは同じく隣國であるスロヴァキアの首都BratislavaからWienへ向かう列車が終日運行しているからである。このへんは旅慣れた感覚とでもいえるかもしれない。

スーツケースを曳きながら、日が暮れて無人になった駅を背にして、車が行き来する道を少々明るい法へ進む。するとすぐに小さな川に架かる橋を渡ることになった。この川が町の名前にあるder Leitha( Leitha川)である、Bruckが独語で「橋」の意味であるから、町の名前は「Leitha川に架かる橋」という風に読めよう。但し小生の渡った橋がその橋かどうかは不明である。
橋を渡るとスーパーマーケットBillaが暗闇に光を放っているが、閉店していた。普段の営業時間でなく暮という特別な時期だったからだろう。因に、ここ数年Billaはルーマニアにも進出している。ハイパーマーケットと呼ばれる大規模な店舗でもなく、大きめのスーパーマーケットというルーマニアには見ないスタイルである。併しながらオーストリアの本家は小型の店舗(日本のスーパーマーケットからコンビニエンスストアの売り場面積)を見かけることが多い。ついでながら、WienのSchwechat空港にもあり、空路でWienを発つ際には、土産物の買い忘れや義理土産、小腹の空いた時のスナックやワイン等を購入する時に重宝している。

Billaの灯を過ぎると、銀行や小店舗の看板がいくつか連なっておりその先に信号機まである。中心へ続く道であることに自信を深める。信号機のある交差点には鉄道と平行しているだろう。西へ東へ向かう車の通行料がそれなりにあった。また交差点からペンションの看板もあり、道路に面してドイツナンバーの観光バスが横付けされていた。

そのペンションへ訪問するも返答がない。
幸運なことに、そこへ丁度宿泊の団体客が外での食事から戻るとことで、宿のオーナーに取り次いでくれた。オーナーは隣接する別棟に住んでいるとのこと。宿泊費は朝食込みで25ユーロという価格。Wienまで列車やバスで30分~1時間ほどの距離であれば利用価値もあるというもの。

団体客はそのままペンションのレストランへ行きビールやコーヒーを注文していた。小生も誘われたのでその中の数人とご一緒して、オーストリアのビールを注文。彼らはドイツのErfurtからのご一行でWienとBratislavaへの年末年始旅行中とのこと。大晦日にはこのレストランでダンスパーティーをするのだとか、これにも誘われたのだが、大晦日の夜はいつもWienの市内中心でカウントダウンを見物するので断念する。ビールも1杯で切り上げ、明日に備えて部屋へ戻る。

参考サイト
Hegyeshalom http://www.hegyeshalom.hu/
Nickelsdorf http://www.nickelsdorf.at/
Bruck an der Leitha http://www.bruckleitha.at
Billa http://billa.at





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ウィーン旅行 vol.1 Győr "Cafe Mozart"

12月に入ったルーマニアでは師走の忙しさというよりも、事仕事に関して云うといつも以上にのんびりとしている。簡単に云えば、目の前のクリスマス(含む正月)休暇が迫っているからである。忙しいところは、大型小売店やスーパーマーケットくらいではないだろうか。

クリスマスも平穏に過ぎた。いよいよ2006年の終わりを実感する頃、小生は年末年始の旅行に出掛けた。行き先はオーストリアの首都ウィーン。1996年以来小生の年越しは毎回ウィーンで迎えている。謂わばウィーン詣ともいえる。当地ブカレストから鉄路で西へ1145Km。毎日一便ある直通夜行列車Dacia号で15時間余り先に位置する。因に空路では1時間40分が標準的な所要時間である。

航空機旅行が嫌いでない小生であるが、列車の旅も捨てがたい。その最大の魅力は、途中下車である。今回のウィーン詣も鉄道旅行を選択した。往路の最初の途中下車駅はハンガリーのGyőrである。

この街はハンガリーの首都ブダペストからウィーンへの幹線のほぼ真ん中に位置しており、観光客にとっては、オーストリアの香りが漂う小奇麗な中心地区のみが注目される程度ではある。その観光に要する時間は半日も要らないと思われる。併し小生にとっての楽しみは、歩行者天國にあるCafe Mozartである。名前からしてオーストリアもしくはウィーンを意識せざるを得ない。恐らくはチロル地方のものであろう民族衣装を纏ったウエイトレスが迎えてくれる。形態としてはカフェ・コンディトライ(独語=Café-Konditorei)という自家製ケーキを提供してくれるものである。コーヒーもウィーンのカフェのように数多くの種類を用意しており、それらは銀色の楕円形の盆に水を入れた小さなガラス製のコップを横に従えて出てくるのである。因にこの水の入ったコップの上には逆さまにしたスプーンがその口を半分にしている。この水については料金を求められない。コーヒーもそうだが、ケーキもウィーンのカフェとは遜色が無い。値段はそれぞれウィーンの半分をやや下回る程度。まさにお値打ちである。

この時期には縁起物の豚をあしらったケーキが並んでおり、小生はいわゆるウィンナー・コーヒーといわれているアインシュペイナー(独語=Einspänner)をウィーン到着に先駆けてこれと注文した。



銀の盆に載ったアインシュペイナーと水、そして豚のケーキ


写真を見て首を傾げる方がいるかもしれない。今までの述べてきたことがその通りでないということに。このアインシュペイナーにはホイップクリームがのっていない。ウィンナー・コーヒーの欠かせないものがホイップクリームである。確かに小生はドイツ語でEinspännerを注文したのであるが、このカフェではいつもこのコーヒーがEinspännerとして小生のところに出てくるのである。そして、スプーンであるが、何分長いのでコップの上には置かれていない。なお、写真では分かりづらいだろうが、コップの中身はなんと炭酸水。小生の知る限りこれはウィーンのカフェでは見掛けたことがない。併しこれらは決して文句でない。これらはこれらで美味しくいただくことができるのである。

ケーキは結構なボリュームで平らげるのには一苦労。もっとも食事を済ませた後にデザートの為に来店しているので、空腹ではないからという理由もある。この豚のケーキを「解剖」しながら食べてみた。メスもナイフもないので、フォークのみを用いて。



中には2種類のクリームが挟まっていた。

さて、この街の魅力のもう一つは温泉プールであるが、それはまたの機会に譲ろう。
満腹となった小生は西へ向かうのである。





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Monday, December 18, 2006

師走の秋刀魚


解凍中の秋刀魚


この夜は焼き魚を夕食の献立に選んだ。秋刀魚である。
この秋、日本から秋刀魚に関するニュースをいくつか憶えている。「豊漁である」「三陸沖で秋刀魚漁の漁船が遭難」「北海道の海岸に秋刀魚が大量に打ち上げられた」。この3つだけであるが、その都度、焼いた秋刀魚の臭いを思い出したものである。

先月ティミショアラで世話になった、JICA青年海外協力隊員としてティミショアラ西大学で日本語を教えている杉野先生が、今月ブカレストにいらっしゃた折に話を伺うと「昨夜、同僚と秋刀魚を焼いて食べた」とのこと。「酒には目もくれず、みな炊いたご飯と秋刀魚を掻き込んでいた」とのこと。同僚の居所の近くに秋刀魚が売っているという。早速、その同僚隊員を紹介してもらい、その場所を訊くと、知っている市場であった。小生の普段の生活エリアからは離れている。その週は忙しくついに秋刀魚にはありつけなかったのであるが、一昨日その方と会う機会があり、失礼ながらお持ちいただいたのである。

小生宅は、調理に関しての換気が万全でない。構造上臭いが篭るので、肉を焼くこともそう多くない。換気の方法は窓と扉を開けるという原始的な方法であるが、暖冬といえども外気は冷たい。従ってフライパンを使った料理は二の足を踏むのである。賢明な読者諸氏はすでにお気付きのこと思うが、魚を焼く為の機器を所持していないのである。せめてスライスしたパンを焼く程度のオーヴンがあれば良いのだが、それもない。そもそも焼き魚を自宅で手掛けるとは思いもよらなかったのである。

2尾の秋刀魚はそれぞれが頭から尾までが35cm程度なので、フライパンには収まらない。頭部を落としてようやく収まった。フライパンに薄くオリーブオイルを塗りそのまま秋刀魚を並べて蓋をする。手軽というか、無知というか、とにかく焼き魚として食べれるようになれば、良いのである。この間、美味しそうは臭いが部屋に充満する一方、煙がひどく窓を開放せざるを得なかった。

焼きあがった秋刀魚はまあまあの出来。杉野先生の言うように白飯が進む。2尾とお茶碗3杯でお腹一杯。
醤油はふんだんに使ったのであるが、大根おろしはなし。生姜をすって代用したが、タカジアスターゼを摂取したかったと後悔した。大根は当地でも手に入るからだ。次からは「目黒の秋刀魚」ならぬ「ブカレストの秋刀魚」をめざしたい。

日本に帰國した折には、毎日魚を食べるのだが、秋刀魚の季節には暫く帰っていないな。

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Saturday, December 16, 2006

クリスマス・コンサート(Concert de Crăciun)

年の瀬が迫ると、みな慌しくなるものである。当地ルーマニアにおいてもそれは日本同様である。キリスト教文化圏の為に、クリスマスという年末年始よりも1週間早い時期に重要な行事がある為に、12月中旬以降は仕事にならないのが実情だ。末端は働いていても上層部はこの時期から前倒しクリスマス休暇でスキー旅行に出掛けるということも珍しくない。つまり通常以上に仕事に支障が生じる機会が増えるのと比例的に怠ける人間が増えるということだ。

そんなある日、市内の目抜き通りのダレス人民大学の前でクリスマス・コンサートのポスターが早足で歩く小生の目にとまった。暖冬のこの冬であるが、先を急いでいた小生の決して長くない両脚は、歩を休める。
シンプルなつくりのポスターには、"Concert de Crăciun"と印刷されている。本稿のタイトルにあるようにクリスマス・コンサートである。出演はYumika NOZAKI(nai)、Monica REPANOVICI(pian)とある。野崎ユミカとは、当地でナイという楽器の演奏を研鑽されている在留邦人である。彼女の演奏は一昨年に同じダレス人民大学のホールで接したことがある。その時は日本へのツアーの壮行コンサートであり、バスーンの四重奏との共演が珍しかった。

前置きが長くなったが、本日当該コンサートを拝聴してきた。
ナイ(nai)という楽器は、日本ではパン・フルートと呼ばれることが多い楽器である。イギリス語ではPanpaipeと綴る。「コンドルが飛んでいく(El cóndor pasa)」でお馴染みの楽器と言えば、音色を共に小膝を叩く読者諸氏もご納得いただけることであろう。この曲は南米アンデス地方の曲と小生は記憶にあるが、同じ楽器が大西洋を隔てた欧州大陸の端っこでもその息吹が息づいている。詳しくは知らないが、単純な構造の楽器なので、伝播したのではなくそれぞれに発生し得るものだったと思われる。ルーマニアには世界的に有名なナイ奏者がいる。ゲオルゲ・ザンフィル(Gheorghe Zamfir)という名前をご存知だろうか?日本でもCD等が販売されているのでご拝聴をお薦めしたい。

このナイは、ルーマニアでは民俗曲の演奏に使われているが、この日のコンサートはクリスマス・コンサートである為にそれに因んだ曲を中心に選曲されていた。共演者の楽器"pian"とはピアノのこと。つまりピアノ伴奏ということである。これらの曲を生演奏で聴くことは意外なもので、小生のこれまでの記憶にはない。野外のイベント等では恐らくあるであろう。日本ではテレビやラジオのコマーシャルメッセージ、もしくは街の店頭から耳に入るものの、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章と共に「年の瀬」を意識するに過ぎないものであった。そういうクリスマス・キャロルが、これまた小生の日常から離れたところに位置するナイという楽器で演奏されるのである。大変貴重な機会といえる。そして肝心の演奏も前回の2年前と比較して満足いくものであった。上手である。終演後、挨拶に楽屋を訪問して話をしたのであるが、ナイはト音記号で書かれた楽譜に対応できるとのこと。今回は聴けなかった民俗曲もそうだが、日本の各地の民謡もあの音色で是非聴いて見たいものだ。

参考サイト
野崎ユミカ オフィシャルサイト http://www.music.ne.jp/~szin/nozaki/
Gheorghe Zamfir http://www.gheorghezamfir.ro/


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Wednesday, December 06, 2006

2006-07 UEFAチャンピオンズリーグ 8(グループリーグE 第6節)

UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグもいよいよ最終の第6節。
ステアウア・ブクレシュティの今夜の相手は、オリンピック・リヨン。
この試合の結果に関わらず、それぞれグループリーグの第3位、第1位が確定している。簡単に言えば消化試合でもある。事実オリンピック・リヨンは主力数人を温存したスターティングメンバーを揃えた。一方の我がステアウア・ブクレシュティは、変わらず本気で臨む。勝利するとそのボーナスの支給がある。額の詳細は知らないが、ルーマニアにおいては特に大した額になるはずである。また、欧州が注目するこのUEFAチャンピンズリーグには、欧州中のクラブから視線を集める。活躍次第では移籍に繋がることもある。

満員のアウエイのスタジアムで、気合の入ったステアウア・ブクレシュティは、なんと試合開始2分に先制点を挙げた。これは幸先の良いことだ、と自宅でテレビ観戦の小生の室温保存していたビールが美味くなった。冷蔵庫に入れておくのを忘れたのだ。因につまみはチーズとサラミ。スルメやチクワがあれば良いのだが、近所のスーパーマーケットでは売っていない。ステアウア・ブクレシュティの先制点から10分後、オリンピック・リヨンは、コーナーキックからのセットプレーで得点。その後は試合終了までステアウア・ブクレシュティが押し気味に試合を進め、終盤にはオリンピック・リヨンも次々に主力を投入。何度か決定的チャンスを得たステアウア・ブクレシュティであったが、それらを生かせず得点を重ねることができない。試合結果は1-1のスコアドロウ。惜しい試合だった。

6試合を戦って1勝3敗2引き分けで勝ち点5の第3位。この後の決勝トーナメントには各グループリーグの上位2チームが進むが、第3位の各チームはUEFAカップの決勝トーナメントへ出場権を得る。ステアウア・ブクレシュティは、この欧州で2番目の格のあるUEFAカップで昨季準決勝まで進んでおり縁起の良い大会である。ルーマニアの國内リーグが春まで冬期休暇中ということもあって、ステアウア・ブクレシュティの新年の初戦はこのUEFAカップの決勝トーナメント第1戦(2月14日もしくは15日)となる。

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Sunday, December 03, 2006

IWA Christmas Bazaar 2006

師走初めての日曜日となったこの日はROMEXPOで開催されたIWAのクリスマス・バザーに出掛けた。
ブカレスト市内で最大のヘラストラウ公園(Parcul Herăstrau)の近くに位置するROMEXPOは、ブカレストもしくはルーマニアで最大の展示・博覧会場である。クリスマス・バザーを開催するIWAとは、The International Women's Associationの通称である。なお、当イヴェントは、チャリティーとしての性格なので、入場券収入や売上金はその道へ寄付されると聞いている。

例年この時期に開催されるこのクリスマス・バザーに出掛けると、急に12月を意識してしまう。日本のように、12月を意識させられるテレビやラジオ、街中や店頭で視覚・聴覚を刺戟するクリスマス・ソングや、クリスマスツリーもしくはサンタクロースを見掛けることは、当地においては比較にならないほど少ない。加えて暖冬であると思われる今年においてはブカレストには11月初旬に一日だけ雪が舞った以外は見掛けないということも理由に挙げられるだろう。場内に入ると晩秋から急に冬に来たような錯覚に陥るのだが、暖房と熱気で大変暑い。この日は午前中日が昇ってから0度の外気だったので、あっという間に顔がホクホクしてきた。

このクリスマス・バザーに出店するのは、IWAルーマニア支部の構成メンバー國、企業、団体に分けることができる。小生の楽しみは、各國の特産品の購入やご当地料理に舌鼓を打つことである。どちらかといえば後者の方が楽しみである。その國のご婦人方が用意されたであろう手作りの家庭料理が食べられるのである。今回はクウェートの出店ブースでアラブ料理を3種類、クロアチアの出店ブースでは鰯のマリネを食べた。南蛮漬けに大変近いものであったので、米飯が恋しくなった。スロヴァキアの出店ブースでは、馬鈴薯のパンケーキ、アゼルバイジャンの出店ブースでは餃子というふうに。一方、ビールも楽しめる。スロヴァキアのTopvar、チェコのPilsner Urquell、アイルランドのGuinness、トルコの出店ブースでは、ルーマニアのRobemaがプラスティック・コップになみなみと注がれる。これらの中にはブカレストで流通していないものもあり、当地においては年に一度飲むことが出来る機会のなのである。


クウェートのブース
香辛料の香りがエキゾチック



フランスのブース
お國自慢のチーズとワインを提供。服装にも注目!


上の写真で少々は雰囲気をご想像いただけたかもしれない。スペインの出店ブースはやはりお國自慢の生ハムJamon serrano、イタリアの出店ブースは手作りマンマの味でラザニア。ロシアのブースではウオトカを飲むこともできた。店員にすすめられたがアルコール度数のきつい酒は受付けない小生なので、顔しかめて断りながら、今が旬のリトビネンコ事件を踏まえて「ポロニウム210を貰おうか」と声を掛けた。受付していた男性はテーブル越しにこう耳打ちした「おまえさんの國のブースで寿司を買いな」。なんとも機転の利いた受け答えに感心した。ちょっとして彼は外交官かも知れないなと思ったのは、帰宅してからであった。

会場は大きく2つに分けられており、CRAFTとFOODに分かれている。フードの方には、仮設ステージがあり、各國の取り分け少年少女が踊りや音楽を披露する。その前にはテーブルと椅子があり、食べ物と一緒に舞台を見ることが出来るが、すでに占拠されており、なかなか空きは出来ない。入場者と関係者で大混雑のなか、その一角の一団にはただ呆れた。大きなテーブルを大人計10人ほどで囲んでいるのだが、その大人数人が堂々と煙草を楽しんでいるのである。こんなことを書くからには、当然場内は禁煙である。話している言葉はルーマニア語。國際色のあるイヴェントにおいてホスト國の人間がこれではね。小生が指摘しても、煙は消えなかったことも加えておく。


各國に自発的に恥を晒すルーマニア人一団


フードエリアを満腹になるまで巡回していたせいか、CRAFT会場へ出向いたのは昼過ぎであった。ここでも特産品に目移りしたのであるが、サッカー好きの小生にうってつけの逸品が販売されていたのだ。スペインの出店ブースでレアル・マドリーの全(遠征)選手の直筆サイン入りボールというものである。先日チェンピオンズ・リーグでブカレスト遠征の際に用意したものという。因に価格は600ユーロ。日本円にしては9万円を越える値段である。小生は無論購入できなかったが、写真撮影は許して貰えたので、読者諸氏に公開したい。


レアル・マドリー直筆サインボール


併し、クリスマス・バザーなので、小生の事務デスクにも何か時期を感じさせるものはないかと思い、購入したのが、「お菓子の家」。スロヴァキアの出店ブースで例年出されているもので、生姜を練りこんだパンが基になっているという。当然口にしても良い。鏡餅のように時期が過ぎれば食べることもできるのだ。これを机に飾ってクリスマスを待つことにしよう。


「お菓子の家」
スロヴァキアの伝統的菓子細工


大変満足した一日であったが、たくさんの荷物を抱えて帰宅すると両腕が既に筋肉痛になっていた。




参考サイト
The International Women's Association of Bucharest http://www.iwabucharest.ro/
ROMEXPO http://www.romexpo.org/
Topvar http://www.topvar.sk/
Pilsner Urquell http://www.pilsner-urquell.com
Guinness http://www.guinness.com/
Robema http://www.robema.ro/

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