ルーマニア正教会ティミショアラのランドマークConstanţaとCraiocvaへの出張を終えたその足でTimişoaraへ向かった。週末に開催される日本文化紹介のイヴェント「Zilele Culturii Japoneze(日本文化の日)」に出席する為だ。Craiovaからは國鉄の夜行列車での移動となったのであるが、このBeograd行きの國際列車が曲者であった。小生の乗った車両はクライオヴァを出発して小一時間経つと暖房が停止したのである。しかもその時になって初めて気が付いたのあるが、窓からは冷たい隙間風が吹き込んでいる。この状況下では、いくら多忙なスケジュールで疲れていた小生であったも眠ることはできない。すぐさま対策を考え、隣の車両に空席を探しに出掛けた。運良く席を確保できたのだが、この車両のキャビンは大変暑い。横になっている先客は窓を開放しているのだが、それでも十分に熱気の篭った空間であった。コートとジャケットを壁に掛けて眠ろうと試みるが、今度は暑すぎて眠ることが叶わない。列車は途中、雪原を通過した。月に照らされたそ白い世界は美しかったが、現実には暑さに参っている小生であった。そんな道中を経て、列車は定刻より遅れてTimişoara北駅に到着。まだあたりは薄暗かった。
さて、今回のイヴェントに限らず、小生は各種の行事等には大変興味がある。内容と対象に関係なく、取り分け計画や運営方法といった裏方についてだ。同様に注目するのが、客の反応。例えば、小生はファッションに関しては疎いが、テレビ等で目にするファッションショウの演出については目を見張る。それらが水着や下着を対象にしてなくてもだ。一方でテレビを離れて、音楽会や展覧会のような芸術関係や、展示会・エキスポ等の商業的なものに至るまでその対象になる。また、その過程である告知や広告方法にも興味は尽きない。プロデューサー気取りと言えばお分かりになるかもしれない。
現地で数年振りに開催される第2回目となる今回はUniversitatea de Vest din Timişoara(ティミショアラ西大学)で日本語教師として活躍中の杉野先生が中心となり進められていた。杉野先生はJICA(Japan International Cooperation Agency=独立行政法人國際協力機構)から青年海外協力隊員としてティミショアラ西大学へ派遣されて2年目を迎えている。この「文化祭」は杉野先生の青年海外協力隊員の同僚とティミショアラ西大学の関係者、そしてティミショアラで活躍する武道サークルClubul SAM-SHOのメンバーがしっかりとサポートしていた。
文化祭の内容は充実しており、初日である土曜日は朝8時30分に受付が始められた。参加者には途中休憩はあるものの最終プログラム終了が20時である為にスタッフは一日がかりの大変忙しい一日であったに違いない。まず、開会式では来賓の一人として在ルーマニア日本國大使館から、津嶋冠治駐ルーマニア日本國特命全権大使が得意のルーマニア語でスピーチを行い、ルーマニア人参加者を驚かせていた。聞いた話では、駐ルーマニア日本國特命全権大使史上初めてルーマニア語が話せる大使閣下だそうだ。4度目のルーマニア赴任という経歴である。いうならば外務省のルーマニアの専門家だ。これは、さぞかし両國間において素晴らしい活躍をされる筈だ。在任中にどのような功績を残されるか注目していきたい。なお、続いて開会式には、茶道のデモンストレーションが行われた。映写機を使っての茶道についての説明もなされ、小生はその配慮に感心した。
開会式が終わると、文化教室として4種類の文化を学べる講座が用意された。それらは、いけばな教室、おりがみ教室、書道教室そして浴衣教室である。受講希望者は4教室の中から1教室を選択できる。併しながら、それぞれは3校時(1校時は50分)開催されるのであるが、残念なことに受講希望者は掛け持ちが出来ない。多くの人を対象にしたいというのが、その理由だという。また各教室の定員は各校時において10名であった。一方で見学は自由に出来た。小生にはそれで十分であったが、おりがみ教室では欠員が出来たので参加させていただいた。結局、3校時で書道教室を除く3教室を見学することが叶った。
ところで、浴衣教室では、浴衣をルーマニア語で「夏の着物」と訳していたのだが、11月半ばを迎えるにあたってのこの日は寒く、浴衣という夏の装いに少々違和感を持った。それよりも洋服の上から浴衣を着るということが見慣れないだけに違和感が強かった。
いけばな教室浴衣教室15時からは日本料理試食会なるものが開催された。
日本食が恋しい小生にとっては、嬉しい機会である。同時に日本食がルーマニア人の口に合うのかという興味もあった。口に入れたその時の表情の変化を観察するのは実に楽しいものであった。その表情で味覚に合うか否かが一目瞭然なのだ。用意された献立は、いくつもあったが、小生が口にできたのはあつあつの「鮭のクリームコロッケ」だ。着物を着た青年協力隊員である日本人女性が配膳してくれる姿は、さながら日本食レストランを思い出された。日本時代にはクリームコロッケを何度も食べたことがあるが、鮭クリームコロッケは初めてのことだった。ルーマニアに来て初めて食べる日本料理は、ブカレストで薦められた「くさや」に続いて2例目である。
この食事の席で、気になったことがあった。小生の周りに陣取っていた参加者のことだ。参加者は小生を除いては、全てルーマニア人と言っても過言ではあるまい。そして、そのルーマニア人の殆どが学生・生徒と言った若者である。正面では、運営者が日本料理の説明をしているのだが、食堂という空間のせいか、私語が溢れている。学級崩壊とはこういうことか、小生はふと思った。さらに目に付いたのが、食べ残しだ。口に合わないので食べ残すのは仕方ないと言えば仕方ない。ルーマニアでは出されたものでも「無理に食べる」という習慣はないと複数のルーマニア人からそう聞いているので、小生は目くじらを立てない。併し「もったいない」と思った。ワンガリ・マータイ(Wangari Muta Maathai)女史の叫びが心に響いた。
話がやや逸れたので、元に戻す。彼らの「食べ残し」が気になったのというのは、正確に言うと「食べ残し後」である。彼らの一部は、食べ物をおもちゃのように扱ったのだ。例を挙げると、巻き寿司を自身で巻いてもらう為に、海苔に寿司を敷いて具をその上に並べられていたのだが、鮭を切り身のみ取り出す。食後にその鮭の切り身をつまんで振り回したり、フォークで何度も刺して暇を持て余していた。そして、それらを記念撮影するのだ。この生徒らの属する学校はブカレストでも日本語や日本文化を学べることで日本人社会にも有名なIon Creanga高校であるだけに非常に残念であった。私語は止まず、周りはこのような状況であったので、午前中の各教室での講座を受けていたルーマニア人の充実した姿が懐かしい記憶に思えたのだ。
翌日曜日は、演武会が開催された。サラ・オリンピアという体育館で行われたこの演武会もその内容は、十分充実したものであった。小生も武道の心得があるので、開催を知った時から興味津々であった。残念ながら予定されていた杖道の演武はなかったが、柔道、合気道、剣道を見ることができた。雨の降る寒い日曜日の朝の冷たい体育館に響く気合の入った発声は、ルーマニア生活をしてから武道に遠ざかっている小生になんともいえない気分を与えてくれたのだ。
演武会最後に、両日のイヴェントについて、不肖素人プロデューサーの小生は合格点を与えたい。特に青年海外協力隊を中心としたスタッフにはお疲れ様といいたい。
参考リンク
Universitatea de Vest din Timişoara
www.uvt.ro/独立行政法人國際協力機構
www.jica.go.jp/Clubul SAM-SHO
http://www.sam-sho.ro/Labels: 旅行:ルーマニア Romania