ルーマニア 晴れ時々曇り

ルーマニア・ブカレストに暮らす小生の備忘録。 連絡は、次のアドレスまで。迷惑メール以外は歓迎します。 Bucurestian(at)gmail.com

Wednesday, November 29, 2006

ジャズ・コンサート鑑賞

友人に誘われてジャズ・コンサートへ出掛けた。
ブカレストには人気のジャズ・バーがある。予約をした方が確実にテーブルにつけるという店だ。そこではジャズのライヴを数回聴いたことはあるのだが、紫煙と飲食物のないなかでのジャズ鑑賞というのは、昨年秋にバーバラ・ヘンドリックスの公演を当地で聴いて以来のことだから、1年振りとなる。

この夜の公演名は「Kicks & Sticks」。
出演はドイツからのビッグバンドThe Hessen State Youth Jazz Orchestraとアメリカ合衆国から黒人歌手のKen Norrisのコンビ。ルーマニアツアーの最終日であったこの日に、ブカレストからトランシルヴァニア地方やオルテニア地方を周って再度ブカレストへ戻ってきた彼らはやや疲れている表情が見受けられた。

ドイツ人の常任指揮者Wolfgang Diefenbachがドイツ訛りの英語で時折曲やソリストについて話してくれ、息のあった演奏を聴かせてくれた。一方のKen Norrisもたくさんの楽しい話や冗談で会場の笑いを誘った。銀幕のエディ・マフィーの70%といえばご想像いただけるか。こちらはアメリカ訛りのイギリス語だ。よって小生の耳にはすんなりと入った。

演奏内容は、編曲家でもあるWolfgang Diefenbachが自慢の編曲ものからスタンダードナンバーまで幅広い選曲で楽しめたのだが、会場の聴衆はジャズ・コンサートに慣れていないせいか拍手や囃し声のタイミングが分らず(もしくは恐縮したのかもしれないが)、行儀の良いものであった。対照的に2階席に陣取った小生は、お構いなく手と口を動かすのだった。

途中休憩の直後、プレゼンテーターが本日の特別ゲストとして地元音楽高校に通う生徒を紹介した。少年は客席からステージへ颯爽と駆け上がった。そして「サマータイム」を歌うのである。このときの伴奏はピアノ、ギター、ダブルベースのトリオ編成。ジャスの基本楽器たちである。ブラス以外には、これらにヴァイオリンやクラリネットも基本楽器といっても良い。余談ではあるが、ジャズの世界ではヴァイオリンのことを「オリン」という。恐らく日本限定だと思うが。

実はこの少年の紹介を聞いた時に小生は大変驚いたのである。
このルーマニア人プレゼンテーターもイギリス語で話していたのだが、彼はこう言ったのだ。

「ルーマニアからはリトル・ニグロが特別ゲストで歌います」

「リトル」とは出演している黒人歌手Ken Norrisに対して、この生徒が若いもしくはプロでないという意味であろう。一方、続く「ニグロ」には、この生徒がジプシーということを限りなく直喩的に表している。
小生が驚く間もなく、ステージ上のKen Norrisやトリオ、客席までも笑顔と拍手で彼を迎えていた。今日の日本では、市民団体もしくは人権屋やプロ市民といわれる者たちに差別として解釈されても仕方ない使用法でもあったにも関わらずに、この笑顔と拍手。そして本人もはにかんだ顔で紹介を続けて受けている。このやり取りを見ていると実に爽やかな気分になった。暖房が効き過ぎた会場で音楽に盛り上がった小生には清々しかった。

さて、期待した特別ゲストの「サマータイム」だが、英語の発音は及第点としてもマイクロフォンの使用法がKen Norrisとは比べ物にならない。素質はあるだろう。
お陰で小生はクール・ダウンを行うことができた。

参考サイト
The Hessen State Youth Jazz Orchestra http://www.landesjugendjazzorchesterhessen.de


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Saturday, November 25, 2006

火事

昨夜のことだ。すっかり暗くなった18時ごろ、パソコンに向かって仕事をしていると小生の小さな鼻が煙の臭いを探知した。使用時以外には台所のガス栓は閉じている。煙草に縁のない小生は煙に敏感である。となると、それは外部からのものである。戸締りしているのに、煙が入ってくるのだ。隙間風と同じ通路をたどるのであろう。部屋には冷暖房の室外機への配管と壁との間に隙間がある。小さな隙間であるが換気もできるから、前向きに思って放っておいたのだ。
隣の住民に訊いても「地階の店舗跡が焼けている」というだけで、大変のんびりしている。一方向かいに暮らす女子大生の慌てぶりは対照的であった。女子大生は小生を招いて中庭側に面する彼女の部屋から煙を指摘する。この時に小生は少しばかり頭を使って状況把握を試みた。彼女の指した煙を吐く窓は中庭側1階。隣人が指摘する延焼中の場所は外側(通り側)地階。つまり入り口がひ一つしかない小生らの暮らすこの築110年を越える建物では、孤立状態に置かれたのかなと。

部屋に戻り、大渋滞の通りを見下ろすと、隣人の指摘する箇所はその真下に当るので小生の視点から炎は見えない。通りの向こう側では見物人が大勢立ち止まっている。彼らは見上げることもしていないので、恐らく視線の先の地階の店舗跡が延焼中ということだろう。煙もあまり見えないが臭いだけは、窓から身を乗り出して、撮影を試みた小生の鼻を突いた。併し、こんな時に限って電池切れとはなんとも情けない。

少し先の交差点で交通整理に当っている警察官がやって来るのが見えたが、様子を伺うだけで180度方向転換して持ち場へ戻っていった。火事の現場は大渋滞の通りに面するにも関わらず、交通整理をしないと言うことは、つまり大したことではないと小生も安心した。この警察官が持ち場へ戻る途中にサイレンを鳴らした消防車が3台大渋滞の一方通行の大通りを逆行して到着。大渋滞でストレス解消のための警笛ばかりを鳴らすマナーの悪いブカレストのドライヴァー達も道を譲っていた。

到着後早速の消火活動が始まったが、ルーマニア人とは思えないテキパキとしたものだった。日本でも野次馬として火事の現場に居合わせたことがあるが、日本の消防隊員の方が優れていると思った。消火活動は小生の真下であった為未確認であったが、現場付近の整理がおろそかであった。近づきすぎた野次馬やマスコミにのみ、その都度注意を与えているだけだった。ロープを張るなりはせず、大渋滞中の交通もそのままであった。後者に関しては必要がないと判断したからかもしれないが。

撮影を断念した小生は、依然窓から身を乗り出したまま電話で知人に実況していたら、ドアが強く叩かれ応対を求められた。扉の前には銀色の消防服を纏った長身の男が息荒く「すぐ避難して下さい」と。

向かいに住む名前も知らない可愛らしい女子大生からは「怖いので一緒に降りて下さい」と言われるも、小生には余裕があったのか、貴重品とノートパソコンそしてコートの準備をして玄関に行くと彼女はもういなかった。

冷静だった小生は、リフトを使用せず階段を使用。火事の被害者の多くが煙を吸い込んだことによる一酸化炭素中毒であることが頭にあるのでマフラーで口と鼻を覆いながらの避難である。このマフラーは役に立った。階段を下るに連れて、煙で視界が遮られるほどになるのであるから。

避難すると入り口のそばで、避難した住民達がおしゃべりをしている。愛玩動物を抱える人々は何人もいたが、その他の住民は何も持たずに避難していた。鎮火間近であったせいか、みんな余裕があったのであろう。部屋に戻れないことだけを気にしていた。そして顔見知りの住民達からは小生の首に巻かれたステアウア・ブクレシュティのマフラーについて指摘された。「大事なものだから。焼くわけにはいけないよ」と言えばみんな大声で笑ってくれた。

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Wednesday, November 22, 2006

日本語講師


日本語学科4回生


先日、ブカレスト大学の外國語学部で日本語とヘブライ語の両学科の教鞭を取る博士から連絡をいただき、彼の教える日本語クラスで講師をすることになった。実は小生は3年前にもこの教壇には立ったことがある。その時には、1~3回生を対象に授業をした。今回は4回生が対象とのことなので、3年前に数週間教えた時の学生がいるかと思って尋ねたのであるが、該当生徒はなし。小生の髪はそうでもないが、影は薄いのかもしれない。一方の小生としても当時の誰一人学生の顔も名前も憶えていない。

今回小生に白羽の矢が立てられた理由は、小生が関西人であるが故。さらに言うと平日日中に時間が融通できるが故。小生から関西もしくは大阪をテーマに話をして欲しいというのが、要請理由である。因に小生は標準語をほぼ完璧に話すことができるので、関西の言葉で授業は進めない。いくら相手が4回生であるとはいえ、理解が伴わないであることは想像に難くない。

関西という言葉の説明から始め、大阪人の気質や評判等を説明するに至った。20数人の女学生を眼前にいささか緊張もした。女子大学で授業している気分だ。ブカレスト大学は男女共学であるのだが、日本語学科は女学生でほぼ占められているということだ。この日小生が教えたクラスには男子学生は居なかった。日本でも外國語を学ぶ男女比率では女学生が勝るということを聞いたことがあるし、女学生が多いという理由で大阪外國語大学へ進学した知人も知っているので驚かなかったが、全員が女子というのも珍しいのではないだろうか。

授業についてだが、双方楽しく時間を共有できたと思う。併し、小生としては準備不足の感も否めず、それが心残りであった。またの機会があれば、納得できる授業をしたい。その時は、レジュメも拵えて万全で臨みたい。

なお、博士からの報酬は豆源の「みそ南京」である。貴重な日本の菓子であるのでお客様がいらした時に使いたい。

参考サイト
Universitatea din Bucureşti www.unibuc.ro/
Universitatea din Bucureşti Facultatea de Limbi şi Literaturi Străine(ブカレスト大学外國語・外國文学学部)http://www.limbi-straine.ro/
豆源 www.mamegen.com/

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2006-07 UEFAチャンピオンズリーグ 7(グループリーグE 第5節)


観戦チケット


UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグは4チームで争われ、ホームアンドアウェイ方式で計6試合が行われる。各チームはホームとアウェイそれぞれで3試合行うことになる。E組の第5節が行われたこの夜はステアウア・ブクレシュティのホームゲーム3戦目であった。今季のチャンピオンズリーグは既に前節で本選への道が閉ざされたステアウア・ブクレシュティであるが、この夜の相手ディナモ・キエフとの3位争いは、重要な一戦なのである。

UEFAチャンピオンズリーグと同じくUEFAが開催するクラブチームの大会にUEFA杯というものがある。こちらはチャンピオンズリーグには格では劣るものの、実質は第2の大会である。現在UEFA杯もグループリーグが行われており、12月初旬にそれを終えた後は来年の2月20日に始まる決勝トーナメントという日程になっている。UEFAチャンピオンズリーズのグループリーグ8組のそれぞれの第3位のチームは、このUEFA杯の決勝トーナメント第一回戦から参戦できるのだ。このような事情でこの夜の一戦はただの3位争い(もしくは最下位争い)ではなかった。

今回の顔合わせでは、既に第1節でステアウア・ブクレシュティが敵地キエフにて1-4で大勝していることを、このウエブログでも知らせてある。その後、両チームは勝利がなかった。つまり、ステアウア・ブクレシュティは1勝3敗、ディナモ・キエフは4敗という成績である。この試合ステアウア・ブクレシュティが勝利するか引き分ければ、第3位確定ということになるのだ。


選手入場


試合は、キックオフからステアウア・ブクレシュティが前半20分頃まで猛攻をかけるがゴールを奪えない。冬の夜空の下のスタジアムは熱気のなかに何度も溜息が繰り返される。落ち込む間もなく次の攻撃が続くというのは、息が付けない流れだ。ここ3戦はオリンピック・リヨンやレアル・マドリーという強豪相手だったので、このような畳み掛ける攻撃とは無縁であったのだ。併し、猛攻を見せるも、初ゴールはディナモ・キエフに許してしまう。29分にチェルナットのフリーキックがそのままステアウア・ブクレシュティのゴールに刺さった。賢明な読者諸氏はお分かりであろうが、チェルナットとはルーマニア人の苗字である。このチェルナットもディナモ・キエフで活躍するルーマニア人で、その前はルーマニアリーグのディナモ・ブクレシュティに在籍していた。ステアウア・ブクレシュティの永遠のライヴァルのチームである。なんともいえない雰囲気がスタジアムに漂い、熱気はすぐに冬の夜に冷やされた。

ディナモ・キエフのサポーターは隣國ということもあってか、オリンピック・リヨンやレアル・マドリー戦に比べてほぼ2倍の席が宛がわれていた。横断幕で囲われ上記の2チームの時とは違う雰囲気である。チェルナットのゴールが決まった際には発炎筒が10数本焚かれた。相手チームのサポーターには持ち込みチェックも甘くなるのかと思っていたら、小生の近くでブラスティックのコップが行き来してコーラが注がれている。2.5リットル入りのペットボトルが見えた。中身のあるペットボトルは蓋をして投げれば立派な武器になるので、持ち込みは許されないのだが、この日は他にも半リットルサイズの水や清涼飲料水のペットボトルをいくつか見かけた。

一方試合は69分にはニコラエ・ディカの同点シュートで一矢を報いたステアウア・ブクレシュティが、その後のディナモ・キエフの猛攻に耐えて引き分けで終えた。この猛攻の中、ステアウア・ブクレシュティのゴールにネットが2度揺れたのだが、それぞれ、選手への反則とオフサイドということでゴールは認められなかった。

この夜の一戦で特筆する出来事が4つあった。
まず一つ目は、ステアウア・ブクレシュティに追いつかれた直後から10℃に満たないスタジアムでディナモ・キエフのサポーターが上半身の衣服を脱ぎスタジアムの一部が白色化していた。因に小生の目からは女性もがいたかは未確認である。二つ目は、さきにも触れたが発炎筒の存在である。ステアウアの・ブクレシュティのサポーターも持ち込んでおり、スタジアムの一部で脱衣が始まった頃数本が焚かれた。ペットボトル持込同様、冬服ゆえに隠しての持ち込みが容易だったのであろう。一方でライターの持ち込みは禁止されている(マッチはどうか知らないが)が、こちらは小さいのでさらに簡単であろう。ライター及びマッチの持ち込みが徹底されればスタジアムは完全禁煙になることは小生には嬉しいのだが。三つ目は、65分にピッチの外の選手に警告(イエローカード)が出されたことだ。こういうことがあるのは知っていたが、テレビ観戦を含めて初めてのことだった。このディナモ・キエフの選手は、78分にチェルネアと交代でピッチに入った。最後の四つ目は、乱闘である。取り分け熱狂的なサポーターで込み合うゴール裏の区画で起こった乱闘は30分ほど続いていた。小生は向こう正面の区画で観戦していたのが、端の方であったため該当区画と網越しに接せしていた。故に良く見えたのだが、原因を含めて何が起こったのかは分からない。恐らくはステアウア・ブクレシュティのサポーター同士であろう。仲間割れは、ゲームに水を注すだけだ。


発煙筒が焚かれる


こうして、ステアウア・ブクレシュティの今季UEFAチェンピオンズリーグのホーム試合は終わった。残りの1戦オリンピック・リヨンとのアウエイである第6節(12月6日)があるが、消化試合と思わずに良い結果を出してもらいたいものだ。ホームでの3試合で350RONのチケットを購入したのだが、0勝2敗1引き分け(2ゴール)の戦果でも随分と楽しむことが出来た。

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Saturday, November 18, 2006

クリスマスマーケット


11月7日正午


11月7日午前中からオデオン劇場前の広場が騒がしくなった。上記の写真のように仮設小屋が出現した。冬を迎えたこの時期にこのような仮設小屋。となればクリスマスマーケットと欧州に暮らしているとピンと来るのだが、やや早いのではないか。まだ11月の第一週を終えたところではないか。この夜には大きな樅の木も運ばれ、クリスマーケットの体が整いつつあった。下の写真は翌11月8日14時に撮影したものだ。


11月8日7時


11月8日午前には、各小屋には商品が並べられ、小さなクリスマスマーケットがほぼ完成していた。小生はコンスタンツァへの出張があったので、間もなくオープンというところでブカレストを離れたのだが、翌10日夜にブカレストに戻ってきた時は、ライトが煌々と輝いており広場に隣接する高級ホテルの宿泊客の迷惑になるのではないかと思うほどであった。併し、近づいてみるとクリスマーケットを営業している様子ではない。


11月10日1時


賢明な当ウエブログの読者諸氏にはこの写真でお分かりの筈だ。
コマーシャルフィルムの撮影だ。明け方まで撮影は続いたのであろう。小生が日の出前に國鉄ブカレスト北駅へ向かった時に見かけると撤収の最中であった。週明けにクライオヴァとティミショアラへの旅行から帰ると、その広場は元の通り、ケマル・アタチェルク胸像が噴水の前に佇んでいた。何故ケマル・アタチェルクなのかというと、前に挙げた高級ホテルがトルコ系ということからである。感心することはこの胸像のには毎月献花がなされ、ルーマニアとトルコ両國の國旗が並ぶということだ。

ところで、ルーマニアは制作費の安さから、外國資本の映画撮影やコマーシャルフィルムの撮影が頻繁に行われる。チェコの首都プラハのように対外的に積極的には動いてはいないようだが、撮影現場に出会うこともしばしばだ。中には小生もエキストラ出演したもののある。当地では放映されないので「カンパケ」を見たことは残念ながらない。

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Wednesday, November 15, 2006

ティミショアラ旅行 Timişoara, Romania (Zilele Culturii Japoneze)


ルーマニア正教会
ティミショアラのランドマーク


ConstanţaとCraiocvaへの出張を終えたその足でTimişoaraへ向かった。週末に開催される日本文化紹介のイヴェント「Zilele Culturii Japoneze(日本文化の日)」に出席する為だ。Craiovaからは國鉄の夜行列車での移動となったのであるが、このBeograd行きの國際列車が曲者であった。小生の乗った車両はクライオヴァを出発して小一時間経つと暖房が停止したのである。しかもその時になって初めて気が付いたのあるが、窓からは冷たい隙間風が吹き込んでいる。この状況下では、いくら多忙なスケジュールで疲れていた小生であったも眠ることはできない。すぐさま対策を考え、隣の車両に空席を探しに出掛けた。運良く席を確保できたのだが、この車両のキャビンは大変暑い。横になっている先客は窓を開放しているのだが、それでも十分に熱気の篭った空間であった。コートとジャケットを壁に掛けて眠ろうと試みるが、今度は暑すぎて眠ることが叶わない。列車は途中、雪原を通過した。月に照らされたそ白い世界は美しかったが、現実には暑さに参っている小生であった。そんな道中を経て、列車は定刻より遅れてTimişoara北駅に到着。まだあたりは薄暗かった。

さて、今回のイヴェントに限らず、小生は各種の行事等には大変興味がある。内容と対象に関係なく、取り分け計画や運営方法といった裏方についてだ。同様に注目するのが、客の反応。例えば、小生はファッションに関しては疎いが、テレビ等で目にするファッションショウの演出については目を見張る。それらが水着や下着を対象にしてなくてもだ。一方でテレビを離れて、音楽会や展覧会のような芸術関係や、展示会・エキスポ等の商業的なものに至るまでその対象になる。また、その過程である告知や広告方法にも興味は尽きない。プロデューサー気取りと言えばお分かりになるかもしれない。

現地で数年振りに開催される第2回目となる今回はUniversitatea de Vest din Timişoara(ティミショアラ西大学)で日本語教師として活躍中の杉野先生が中心となり進められていた。杉野先生はJICA(Japan International Cooperation Agency=独立行政法人國際協力機構)から青年海外協力隊員としてティミショアラ西大学へ派遣されて2年目を迎えている。この「文化祭」は杉野先生の青年海外協力隊員の同僚とティミショアラ西大学の関係者、そしてティミショアラで活躍する武道サークルClubul SAM-SHOのメンバーがしっかりとサポートしていた。

文化祭の内容は充実しており、初日である土曜日は朝8時30分に受付が始められた。参加者には途中休憩はあるものの最終プログラム終了が20時である為にスタッフは一日がかりの大変忙しい一日であったに違いない。まず、開会式では来賓の一人として在ルーマニア日本國大使館から、津嶋冠治駐ルーマニア日本國特命全権大使が得意のルーマニア語でスピーチを行い、ルーマニア人参加者を驚かせていた。聞いた話では、駐ルーマニア日本國特命全権大使史上初めてルーマニア語が話せる大使閣下だそうだ。4度目のルーマニア赴任という経歴である。いうならば外務省のルーマニアの専門家だ。これは、さぞかし両國間において素晴らしい活躍をされる筈だ。在任中にどのような功績を残されるか注目していきたい。なお、続いて開会式には、茶道のデモンストレーションが行われた。映写機を使っての茶道についての説明もなされ、小生はその配慮に感心した。

開会式が終わると、文化教室として4種類の文化を学べる講座が用意された。それらは、いけばな教室、おりがみ教室、書道教室そして浴衣教室である。受講希望者は4教室の中から1教室を選択できる。併しながら、それぞれは3校時(1校時は50分)開催されるのであるが、残念なことに受講希望者は掛け持ちが出来ない。多くの人を対象にしたいというのが、その理由だという。また各教室の定員は各校時において10名であった。一方で見学は自由に出来た。小生にはそれで十分であったが、おりがみ教室では欠員が出来たので参加させていただいた。結局、3校時で書道教室を除く3教室を見学することが叶った。
ところで、浴衣教室では、浴衣をルーマニア語で「夏の着物」と訳していたのだが、11月半ばを迎えるにあたってのこの日は寒く、浴衣という夏の装いに少々違和感を持った。それよりも洋服の上から浴衣を着るということが見慣れないだけに違和感が強かった。


いけばな教室



浴衣教室


15時からは日本料理試食会なるものが開催された。
日本食が恋しい小生にとっては、嬉しい機会である。同時に日本食がルーマニア人の口に合うのかという興味もあった。口に入れたその時の表情の変化を観察するのは実に楽しいものであった。その表情で味覚に合うか否かが一目瞭然なのだ。用意された献立は、いくつもあったが、小生が口にできたのはあつあつの「鮭のクリームコロッケ」だ。着物を着た青年協力隊員である日本人女性が配膳してくれる姿は、さながら日本食レストランを思い出された。日本時代にはクリームコロッケを何度も食べたことがあるが、鮭クリームコロッケは初めてのことだった。ルーマニアに来て初めて食べる日本料理は、ブカレストで薦められた「くさや」に続いて2例目である。

この食事の席で、気になったことがあった。小生の周りに陣取っていた参加者のことだ。参加者は小生を除いては、全てルーマニア人と言っても過言ではあるまい。そして、そのルーマニア人の殆どが学生・生徒と言った若者である。正面では、運営者が日本料理の説明をしているのだが、食堂という空間のせいか、私語が溢れている。学級崩壊とはこういうことか、小生はふと思った。さらに目に付いたのが、食べ残しだ。口に合わないので食べ残すのは仕方ないと言えば仕方ない。ルーマニアでは出されたものでも「無理に食べる」という習慣はないと複数のルーマニア人からそう聞いているので、小生は目くじらを立てない。併し「もったいない」と思った。ワンガリ・マータイ(Wangari Muta Maathai)女史の叫びが心に響いた。

話がやや逸れたので、元に戻す。彼らの「食べ残し」が気になったのというのは、正確に言うと「食べ残し後」である。彼らの一部は、食べ物をおもちゃのように扱ったのだ。例を挙げると、巻き寿司を自身で巻いてもらう為に、海苔に寿司を敷いて具をその上に並べられていたのだが、鮭を切り身のみ取り出す。食後にその鮭の切り身をつまんで振り回したり、フォークで何度も刺して暇を持て余していた。そして、それらを記念撮影するのだ。この生徒らの属する学校はブカレストでも日本語や日本文化を学べることで日本人社会にも有名なIon Creanga高校であるだけに非常に残念であった。私語は止まず、周りはこのような状況であったので、午前中の各教室での講座を受けていたルーマニア人の充実した姿が懐かしい記憶に思えたのだ。

翌日曜日は、演武会が開催された。サラ・オリンピアという体育館で行われたこの演武会もその内容は、十分充実したものであった。小生も武道の心得があるので、開催を知った時から興味津々であった。残念ながら予定されていた杖道の演武はなかったが、柔道、合気道、剣道を見ることができた。雨の降る寒い日曜日の朝の冷たい体育館に響く気合の入った発声は、ルーマニア生活をしてから武道に遠ざかっている小生になんともいえない気分を与えてくれたのだ。


演武会


最後に、両日のイヴェントについて、不肖素人プロデューサーの小生は合格点を与えたい。特に青年海外協力隊を中心としたスタッフにはお疲れ様といいたい。


参考リンク
Universitatea de Vest din Timişoara www.uvt.ro/
独立行政法人國際協力機構 www.jica.go.jp/
Clubul SAM-SHO http://www.sam-sho.ro/


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Monday, November 13, 2006

クラオヴァ旅行 Craiova, Romania


Dolj県 県庁舎


ルーマニアの東端のConstanţaへの出張から深夜にBucharestの拙宅に戻った7時間後には、小生はCraiovaへの列車に揺られていた。出張中に入った仕事を夜を徹して片付けたので、この夜の睡眠時間は僅か40分。6時45分発の國鉄に揺られて検札後間もなく睡眠に落ちた。切符にはクライオヴァまでの列車情報が印刷されており、それによると到着時間は9時32分、距離は209km。ほぼ3時間の旅である。

CraiovaはBucharestの西に位置し、首都同様にワラヒア平原に栄えた街。Dolj県の県庁所在地でもある。最近までは南朝鮮の自動車メーカーであるDewoo社の組み立て工場が操業されており、車の街として知られていた。9月初旬に南朝鮮の大統領盧武鉉がルーマニアに國賓として招かれた際に正式にこの工場を手放す話をしたそうだ。現在はこの跡地を日産とフォードが検討している。いずれにしてもラインはそのまま使えるわけではないので、自主操業までは簡単な道のりではない。自動車産業と小生の出張は、全くの無縁であるが、日産という日系企業が進出を考えているときくとやはり楽しい気分になる。

眠気が残ったまま無事に打ち合わせを終えて、時間を潰すことになった。この夜は、音楽会へ招待されていたのだが、19時開演であるから時間を持て余す。音楽会の後に夜行列車に乗るのでホテルも確保していない。この街は観光スポットといえるところが無い。もしくは無いに等しいといえる。結局およそ6時間を飲食店をハシゴすることになった。ルーマニアには日本のように気軽に時間の潰す場所が少ない。その点は不便さを感じる。

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Sunday, November 12, 2006

コンスタンツァ旅行 Constanţa, Romania


黄昏のコConstanţa港
奥にはクレーン群が、手前に港湾施設が見える


Constanţaは港町である。黒海に面したルーマニアの数少ない港のなかで最大規模を誇る。ルーマニアの海の玄関口であり荷揚げされたコンテナ等は、Constanţaが起点となるヨーロッパ第4回廊を通じて國内外へ流通するのである。

ルーマニアの東は黒海であり、Constanţaはその港町であるわけだから、つまりヨーロッパの東端と来たといえる。小生がこの地を訪問したのは今回が3度目である。前回は2001年の9月であったので、実に5年ぶりの訪問である。市営交通に真新しいバスが採用されていたり、郵便局が近代的なビルに組み込まれた街並みを見てこの街においても、豊かさの向上を伺うことができた。一方で港の北端に位置する旅行者が訪問する小さな地域は、5年前と大して変わらず旅行者の少ない時節柄かひっそりと佇んでいた。
この小さな地域には博物館、水族館、ジェノヴァ人の灯台、ギリシャ及びローマ時代の遺跡、そしてイスラム寺院が集中している。中でも有名な観光スポットがカジノである。海辺に突き出して建設されたカジノの正面はカテドラルのように堂々としている。1910年に完成後1985-87年に改装されているが、一見の価値があるといえる。現在はレストランとしても利用されており、夏場は海側のテラスで迫る波に洗われるような中、冷えた白ワインを楽しみたくなる雰囲気である。


Cazino


ところで、ルーマニアの黒海沿岸には2つの地方行政管轄下におかれ、ウクライナとの國境をUNESCO世界自然遺産で有名なドナウデルタで接するTulcea県が北側、その南側ブルガリアまでの地域がConstanţa県となるが、これらをほぼ併せた地域をドブロジャ地方と呼ぶこともしばしばである。
ドブロジャ地方は歴史的に民族の移動が頻繁に行われたせいか、ルーマニアの他の地域よりも多民族が暮らしている。その象徴たるものが1910年に建設されたイスラム寺院マフムド2世モスク(別名カロル1世モスク)である。ミナレットがエキゾチックだ。


マフムド2世モスク


また、今回はドブロジャ地方の料理を口にすることができた。Bucharestでいつも世話になるビストロには「ドブロジャ風サラダ」がメニューにある。これは自家製ドレッシングが付けられ、美味である。この夜もメニューには「ドブロジャ風サラダ」があったのだが、注文したのは「ドブロジャ風トキツゥーラ」というものである。
今回宿泊したホテルのレストランでは、海産物を楽しみにしていたのだが、淡水魚メニューしかない。仕方なく郷土料理を探すと、このドブロジャ風トキツゥーラを発見したのだ。トキトゥーラそのものは、確かモルドヴァ地方発祥と記憶している。内容は、煮込んだ肉やソーセージに、目玉焼きをのせたママリガと呼ばれるとうもろこしの粉を茹でた付け合せで配膳される。また目玉焼きの上にはブルンザと呼ばれる白いチーズが振りかけられている。空腹時には大変食欲をそそられる一品である。併し小生には残念ながら「ドブロジャ風」の違いが分らなかった。写真を掲載するので、ご存知の読者諸氏には意見を請いたい。味は及第点だ。


ドブロジャ風トキツゥーラ


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Sunday, November 05, 2006

鶏卵から見るルーマニア

手前左端の鶏卵のみ際立って大きい
賞味期限が殻に印刷されている


独り身の小生の生活においては外食が多いというわけでもない。つまり自炊である。幸いにもルーマニアに流通する米は日本で育った小生でも違和感なく口にできる。1990年代に日本での米不足によって急遽東南アジアから輸入された長粒米を記憶されている読者諸氏もいるであろう。緊急輸入を試みたにも関わらず、日本人の大多数から敬遠された故に小生の記憶にも残っている。ルーマニアで買い求めることができる米は、その長粒米ではない。ただ手持ちの日本製の電気炊飯器との相性は難しく、洗米後の水加減は釜の目盛り通りに従うと、炊き上がった米飯が軟らかいものになってしまう。

自給自足の生活でない小生にとって、自炊には買い物が伴う。料理の腕はお世辞にも良いとはいえないが、スーパーマーケットや商店においては、品質チェックに余念がない。表示された賞味期限には余裕を持って選らばなければならない。日本における賞味期限というものは、商品によっては「おいしくいただける期日」ということであって、表示日より数日を過ぎてもそんなに変わるものでないことも多い。日本に暮らしていた頃、これを実践したことによって食中りを起こしたことは一度もなかった。併しながら、当地においては、賞味期限内であっても痛んだ食品に出会うことは珍しくない。一つの例として購入したヨーグルトを挙げる。当然のことながら冷蔵庫に保存しており、冷蔵庫が停電で動いていなかったことや、扉がきちんと閉じていなかったということはない。表示された日付の5日前にそれを取り出し食卓に並べる前に、左手に持ったヨーグルトのカップの異変に気が付いた。アルミ蓋が膨らんでいるのである。航行中の航空機内の、開封前のポテトチップスの袋のようだった。文系の小生でも内部でガスが発生していることくらいの検討はついた。開封後のヨーグルトは白さを保っていたが、表面はふさふさとしていた。これ以上は記さなくても分るであろう。発酵食品とはいえ、舌が痺れるということは人体が拒否しているのだ。

さて、表題の鶏卵だが当地での販売方法は10個入りやさらに少数の個数入りの日本でもおなじみのパック詰めとして販売されている。また、30個入りを求める購入者も珍しくはないが、この場合は蓋のないマットで立てた鶏卵の下部のみを保護するといえばご理解が得られるであろう。併しマットという言葉では、具体的にはご想像できないでかもしれない。透明プラスティクでないパック、即ち再利用の紙類を材料にしたパックと同様といえば良いか。いや写真のパックと同じ材料で蓋がないもの、と言えばそれで済むのだ。

近所の商店で鶏卵を求めると、この30個入りのマットから注文の数だけ取り出して販売してくれる。併し、写真の通りに一つだけ大きいなものが混ざっていた。因に写真に映るパックは購入に際して小生が商店に持参したものである。得した気分のも束の間、「5つを損したかな」と疑念を持つのも当地生活の故か。レジのそばの専用冷蔵庫から鶏卵を取り出すところを見ていなかったので、否定的に考えるのはやめよう。そもそも鶏卵を購入して得したというのは、2つの黄身に出会った時だ。小生は、ゆで卵以外の白身は好きではない。目玉焼きにしても、生の場合でも。但し、当地において、いや日本以外で生卵は食さないことにしているのでとんとご無沙汰であるのだが。また、日本で以前出合った新聞記事には、丁寧に大きさを基準でパック詰めされた日本の鶏卵について、L寸もS寸も黄身の大きさは殆ど違わず、白身の量に差が際立つとの記述を憶えている。小生のような黄身を重要視するものには、安いS寸鶏卵で満足できるというものだ。余談であるが、昨今日本で流行しているという「たまごかけご飯」には、小生は黄身のみを使用する。

いつものように前置きが長くなったが、この写真の鶏卵から当地の「いい加減さ、いや「アバウトさ」、もとい「大らかさ」を想像してもらえればと考えたのだ。

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Saturday, November 04, 2006

2006-07 UEFAチャンピオンズリーグ 6(グループリーグE 第4節)

ステアウア・ブクレシュティが10年ぶりにグループリーグへ出場を果たした開催中の今季のUEFAチャンピオンズリーグ。ルーマニアのクラブとしても実に10年ぶりの出場となる。
4チームで争われるグループリーグも前節で一巡が終わり、この第4節からは2度目の顔合わせとなる。ステアウア・ブクレシュティは2週間前にホームに迎えたレアル・マドリーに1-4のスコアで大敗を喫していたことから、この日サンチャゴ・ベルナベウで行われる同じカードでのステアウア・ブクレシュティへの前評判も大変厳しいものであった。

小生は日本からのお客様との仕事もありマドリッドまで出掛けるわけにもかいかずテレビ観戦となったが、なんとテレビからはステアウア・ブクレシュティへの声援が聴こえてくるではないか!これは、当地の中継局の実況者や解説者という意味ではなく、スタンドからの声援である。中継では、このサンチャゴ・ベルナベウのスタジアムは65000人収容可能であること、今夜は15000人のステリストが詰め掛けているとのことだ。名誉ある欧州最高位の大会であり、世界的に人気クラブのレアル・マドリーのスタジアムにアウェイチームのサポーターが大挙して観戦に来ているのである。この数字は率にして23%だ。通常のサッカーの試合はアウェイである相手チームのサポーターに宛がわえる座席数は少数のものであるのに対し、この夜のレアル・マドリーサポーターは異なる雰囲気を味わったであろう。

試合はステリストの大声援の中、ステアウア・ブクレシュティが2週間前とは違った動きを見せた。前評判云々以前にもともと格が違う相手であるから善戦が精一杯と見られていたが、その精一杯をやってのけたといっても良い。結果は1-0でレアル・マドリーの勝利となったのだが、この1点はオウンゴール。レアル・マドリーの選手にはゴールを割らせなかったことは、格の違いから言っても大したものだと小生は考える。レアル・マドリーも決定的な好機を数回逃していたのだが、この試合は今後のリーグ戦だけでなく将来への大きな糧になるであろう。

ところで、テレビ中継の実況と解説は大変面白い。読者諸氏が容易に想像できる「叫び」だけではない。
映像の制作はスペインの放送局が提供しているのだが、音声の担当はルーマニアの放送局である。それゆえに贔屓の引き倒しと十分にいえる内容だ。日本であれば、プロ野球中継などにもそのような発言はあるが応援程度と割り切れるし、一応は公平な見地からの実況及び解説が行われている。一方、今回のサッカー中継は國際試合であるので贔屓の引き倒しが許されたのかも知れない。面白い表現がいくつかあった。「東欧から来たバルセロナ」。これは、ステアウア・ブクレシュティのユニホームの配色がスペインリーグのバルセロナと同じ赤と青であるところからだ。補足すると、スペインリーグにおける伝統の一戦は、レアル・マドリーとバルセロナの戦いであり、「El Clasico」と知られている。またステアウア・ブクレシュティの選手が一対一でボールを奪われると、「仕方ない。相手の方がサッカーを知っている」と格下を容認する。反対にステアウア・ブクレシュティの選手が好プレーで相手からボールを奪った時は「彼は(その相手より)14歳年上だから、サッカーを良く知っている」と解説者が言えば、合いの手を入れるように実況者が「でも、収入は相手の方が何千倍ですよ」と発言し二人で笑い声が放送されるのである。

敗戦とはいえ予想以上に健闘したステアウア・ブクレシュティのグループリーグ次の相手は、第1節において敵地で大勝した相手ディナモ・キエフをブカレストに迎えての一戦である。11月21日の21:45キックオフなので、極寒の中での観戦になるであろうが、小生は駆けつける。

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Friday, November 03, 2006

海外巡回健康相談

11月3日午後より海外巡回健康相談に出掛ける。
今季の初雪が舞う中、公共交通機関で会場となったソフィテルへ向かうが、暖房設備のない市営交通車内は当然の如く外気との差が殆ど感じられない。走行中は窓と扉が閉じているお陰で雪や風の影響を受けずにすむのだが、各停留所での扉の開閉の度に、付近に座っていた小生は身が震える思いだった。もっとも、この時間帯の気温は0度程度であったので、この先本格化する冬将軍を考えると本当に身が震えるのだ。真冬の当地はマイナス20度にも達する。

小生が海外巡回健康相談に出掛けるのは今回が2回目。前回は昨年に受診したので2年連続となる。会場はソフィテルであるが、診察室というのは当然客室。リフトで8階にあがると、廊下のソファーや宛がわれた椅子によって付近は待合室となり在留邦人の井戸端会議が行われる。そんな中、リフトの扉が開くと同時にイタリア語が狭い廊下に響き渡る。一般宿泊客であるイタリア人旅行者の登場ある。フローレンスからのタグがついているスーツケースを手にする彼らが、この待合室となった8階の光景を見て「マンマ・ミーア」と呟いたのを小生は聞き逃さなかった。

この海外巡回健康相談の進め方は簡単で問診表に記入後に診察を受ける。平行して尿検査と心電図検査(希望者のみ)も行われる。女性受診者には別の検査も用意されていたが、それが何かは憶えていない。

今回は医師が2名、看護士が1名そしてスタッフが派遣されていた。自身の身体に関することを母國語で対応していただけるのは、本当に有難いことだ。國際化された今日の世界では、外國において日本人医師が活躍する都市もあるのだが、ルーマニアにおいてはそのような医師はいない。例外もしくは余談として日本語を話すルーマニア人歯科医がブカレストに居ることとをあげておく。更に余談として、安い学費で卒業できるというルーマニア西部にあるオラデア大学医学部が一部の大変少数の日本人医大受験生に密かな人気であることから将来は当地で日本人医師にお目にかかることが期待出来るかもしれない。話は逸れたが、医療施設に問題のある國に暮らす小生にとっては、彼らを正に三顧の例を持って迎えたい気持ちであった。裏を返すとこのような医療事情故にこの制度「海外巡回健康相談」を受益できるのだが。

診察していただいた、鈴木こどもクリニックの鈴木医師に尋ねると、ブカレストの前に隣國ブルガリアの首都ソフィアで海外巡回健康相談を行ったという。ソフィアもブカレストも受診者は共に50人弱であったが、希望者の年齢層が異なるという。定年退職後にブルガリアへ移住した夫婦が何組も受診したとのこと。そのような年代の方々は、身体のことも熟考して移住していると思われるが、彼らにとっても大変嬉しい制度であったことだろう。因にこの「移住者」は、小生も日本でテレビ番組で取り上げられたのを視聴している。一方「ブルガリアへ移住」といえば五木寛之著「ソフィアの秋」が思い出される。もっともこの小説の場合は夫婦での「移住」というより、独身男性が「現地女性を追っかけた」がキーワードになる。小説のカップルはハッピーエンドで綴られ、ルーマニアから日本へ出稼ぎするダンサーという興行査証を持ったホステス(ジャパユキさん)の追っかけをして当地を訪れる日本人男性の少なくない数が遭うという結婚詐欺その他とは雲泥の差である。

この海外巡回健康相談は、無料で受診できるだけではなく、必要に応じて処方箋をいただき日本から持参された薬をいただくことが出来る。今回見逃した在留邦人には是非薦めたい。

なお、幸いなことに小生は、血圧検査は「Very good!」とのこと。理学的所見において問題なしとお墨付きを貰うことになった。

参考リンク
ソフィテル ブカレスト http://www.sofitel.com/sofitel/fichehotel/gb/sof/1714/fiche_hotel.shtml
独立行政法人労働者健康福祉機構 http://www.rofuku.go.jp/
鈴木こどもクリニック http://www.genkids.gr.jp/index.html

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